の~んびり

いつものんびりしていたいものです。でもそうとばかりにはいかなそうです。

2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

懐かしのとき。バイクハンドル三輪車

初めのころの三輪トラックは 丸ハンドルではなく、 バイクのようなハンドルの もありました。 運転席の真ん中で 雨風を気にしないで運転出来る のが嬉しいです。 今もこんな三輪車があったら 買って乗ってみたいです。

懐かしのとき。三輪車から落ちる

トラックが駐車してると それも遊びにします。 ある日、荷台で遊んでいて 運転席屋根から荷台に飛び降り、 勢い余って荷台から地面に 落ちたことがあります。 今思うとよく無傷だったのか 不思議です。

懐かしのとき。三輪トラック

材木とか重い荷物を運ぶのに 馬車から三輪車に代わるのは 道路が舗装されてからのこと でした。 少しずつガソリン駆動の 自動車が増えてくると、 お馬さんを見かけることも 減ってきてしまいました。 「くろがね」の三輪車

懐かしのとき。荷馬車

まだ自動車が普及して いなかった頃、 運搬は主にリヤカーでした。 大きくて重い荷物には 馬車が使われることも あります。 深川の材木運びには お馬さんが使われることも ありました。 町中に大きな動物がいても 不思議ではない時代でした。 飼い馬桶からお…

懐かしのとき。材木置き場

深川は材木の町です。 材木に関する様々な商売が ありました。 丸太を川や溜め池、堀に浮かべて 貯蔵する、 丸太を切断する、板や柱にする。 だから板や角材がそこら中に 置かれてました。 町名の木場でなくとも木場です。 子どもたちにとっては 隠れんぼや…

懐かしのとき。お馬さん

便所の汲み取りで使われる桶は 荷台に積まれてそれを お馬さんが引っ張っていました。 道路には時々、 馬糞が落ちてました。

懐かしのとき。汲み取り便所

都内、昔の深川ではトイレは 汲み取り式でした。 区から認可をもらった オワイヤさんが毎週(?)、 便所の外の汲み取り用の 小穴から柄杓で糞尿を掬い 桶に入れて持って行って くれました。 ここでも都のマークの入った 回数劵をその都度渡して ました。 今思…

懐かしのとき。 鉄砲で

2B 鉄砲でどのくらい遠くまで ビー玉が飛ぶのか試してみた ことがあります。 場所は墓場の中ですが 少し上に向けて撃ってみた ところ、100m 位も飛んで 塀の外に建っている家の 窓ガラスを割ってしまい ました。 本当にごめんなさい

懐かしのとき。便所

昔はトイレとは言わず 便所とかご不浄とか言って ました。 金隠しの底は大きく穴が 開いていて出したものは すぐに下の大きな瓶に落ち ます。 一週間ほど貯めておくので 結構臭かったです。 正面には窓があるのですが 下にも小さな窓があって 風通し良くして…

懐かしのとき。2B鉄砲の撃ち方

簡単です。 マッチの箱で擦って火を点けた 2B 花火を筒の先から入れた後、 筒の内径とほぼ同じ大きさの ビー玉を同じく先から入れて 的を狙い、 2B が爆発するのを待つだけです。

懐かしのとき。手作り銃

2B 花火で撃つ簡単なおもちゃ の銃も作りました。 中学生の少し大きな子は 空気銃のツヅミ弾を使った 本格的なのを作ってました。 私たち小学生は水道管の端を 内径に合わせて削った木で ふさいだだけの 手作り銃を作りました。 台座を付けてそれっぽくなっ…

懐かしのとき。二ービー花火

駄菓子屋さんで花火も売ってました。 子ども用の花火に 二ービーやかんしゃく玉、へび花火とかがありました。 二ービーはマッチに擦って発火させ、 数秒経つとパン!って爆発します。 度胸試しもしました。 爆発する直前まで持っていて 空中に投げるのです。…

湘南の夕景。

今日はこれから雨の予報なのに きれいな夕焼けが見られました。

懐かしのとき。罰当たり

墓場の中は子どもたちにとって 大人の目が届かないので悪い遊び もしてました。 お供え物やらを的にして 手作りパチンコで狙って当てるとか。本当にごめんなさい。

懐かしのとき。墓地遊び

東京の深川です。 深川は材木屋が多いですが、 お寺も多かったです。 其処ら中にお墓があって 子どもの頃は遊び場にもなって いました。 墓場は塀で囲まれていて 高さは優に2メートル以上あり、 そこから飛び降りたりもしました。 地面は舗装されてなかった…

懐かしのとき。道路野球

大抵の子どもは塾とか行ってないので 学校が終わると家のそばで遊ぶことになります。 道路野球も面白かったです。 ピッチャーがボールを転がし、棒を持ってしゃがんで打つバッター。 ヒットになれば一塁、二塁とまわって 一点。 狭い道路なのでゴロだけの野…

懐かしのとき。都電の線路

今なら犯罪者になるかもだけど、 交通量の少なかった昔、 線路の上に長い釘を置いて 電車が轢くと釘がぺっちゃんこに。 それを砥石で研いで ナイフを作ることも流行りました。

懐かしのとき。都電の花電車

いつ走るのかは忘れましたが 何か特別の日に都電の車体回りが きれいに花飾りされていることも ありました。 4月8日お釈迦様の日 だったのかしら?

懐かしのとき。都電乗車券

都電に乗るとその時に乗車料金を払うかあとから車掌さんが来て料金をとりにきます。 乗車劵は回数券として買うこともできます。10枚だか20枚だかの綴りで一枚多く、おまけになってました。

懐かしのとき。都電

都電には運転手さんだけでなく 車掌さんもいました。 発車には乗客の安全確認してから運転手さんに合図を出します。 紐を引いてチンチンとベルを鳴らしていました。 チンチン電車とも言ってました。 実にアナログなやり方です。

懐かしのとき。都電

都内では昭和60年代くらいまでは 近場の移動は都電を使えました。 20円位?の運賃でどこまで 乗っても同じ料金だった気がします。 その後、現在のような バスに替わったのですが 祭日には華々しく日の丸の旗がはためいてました。 停留所『駅』が道路の中央に…

懐かしのとき。日の丸

フクちゃんの漫画の時代に サザエさんもありましたが、 漫画の中に日の丸がまだ良く出て きました。 提灯行列とか、公共交通機関にとか。 今も祭日のバスに付いてると 懐かしいです。

懐かしのとき。フクちゃん

思い出に残るフクちゃんのひとつに 1 縁台に座って暑がるおじいさん 2 フクちゃんが涼しいところがあるよ って教えてあげ 3 おじいさんをそこに連れていく 4 そこは家の隙間でおじいさんトホホ ほのぼのした漫画でした。

懐かしのとき。

ずっと昔、 新聞の4コマ漫画に 『フクちゃん』というのがあった。 ほのぼのして安らぎが感じられた 漫画でした。